故郷鹿児島にいると恐らく考えることはなかったであろう。
18歳で上京してからちょうど20年目となった。すっかり鹿児島に住んでいた頃よりも長い時間を、関東で暮らすことになった。上京してからも10代、20代のころはもっと考うるべきことが多すぎて、学び、仕事、更には今を生きることに必死すぎて、そんなことを考える余裕はなかったのだと思う。
30歳になる年に結婚し、妻が沖縄の出身だったことから、鹿児島と沖縄には歴史的な部分での深い関係がある。ということへの単純な興味….だけでなく、なんだか西側(南)の人間は、感覚的に似ていると感じる部分が多い事(ただその似ているという表現をうまく言葉に表すことができないのであるが)について、「この感覚は一体なんなんだろう。」という疑問に似た興味から、徐々にその人の出身地を聞くようになっていたり、人の顔つきをまじまじ見つめていたり、県民性について調べたり、旅行に行く度にその県の歴史、風土や慣わしなどに興味を持ち始めた。というのが発端です。
そういえば、そもそも自分のルーツもよく分かっていない。
子供の頃から、田舎にしては珍しく親戚付き合いがほとんどない家で、思い返してみても、存在こそ聞かされていたものの、会ったことのない親戚の方が多いくらいだったので、
例えば、私のじいちゃんのじいちゃんのもっと前のじいちゃんは、どんな名前で、どこに住んでいて、ばあちゃんはどこの出身で、いつから地元が志布志にあって。
そもそも、じいちゃんの兄弟、ばあちゃんの兄弟は?鳩子達の存在は?そもそも、会ったことのない従兄弟達もいる(今現在は7-8年前に会うことが出来るようになったが)
など、疑問は尽きず、とある方法を試してみた。
役所に電話して、戸籍謄本を取り寄せると言う方法である。
そこには文字から浮かび上がる様々な出来事に思いを巡らせる瞬間があった。
例えば親戚の中には亡くなった双子の姉妹がいた。とか、じいちゃんの兄貴は戦士していたとか。他にもここで書くことは避けた方がいいようなことも、時系列や記載事項から分かってしまった。ほとんど何も聞かされてこなかった過去について、この記載事項から実に面白いことをいくつも読み取ることができた。
そして、私はとりあえず200年前からルーツは鹿児島の志布志にあり、母方の祖母が宮崎の南郷出身だったのを除けばほぼ鹿児島の血筋(歴史的な背景としては薩摩ではなく大隅地方の出身であることを知った。)
日本狭しと言えど
こうして自分のルーツがどことなく分かったところで、日本狭しと言えどやはり厳密には違いがたくさんあり、
例えば各地の民族。
北海道のルーツを知るとそこには開拓者としてやってきた内地出身の人間もいれば、原住民(アイヌ)の生まれもおり、本州山地には山窩(サンカ)と言う移動系の民族。
同じく南九州には、熊襲と言う民族、沖縄にも琉球民族の歴史など、民族的な違い。
はたまた、北から南で気候や温度が一切異なるように、
北の暮らしに合わせた生活や風土、山ならではの暮らし、海ならではの暮らし、湿気が多い地域、雪の地域、川の地域、湿地帯の暮らしなどにより、暮らしは一切異なるし、当然そのような地域ごとに崇めている神様の存在も異なる。
本テーマのルーツの真ん中を知りたい
今回のテーマであるが、日本全国、それぞれの地域で違いがあるように、私や妻が影響を受けてきた、故郷の教えや考え方、生き方、食べ物や暮らし、言葉もそうですが、全国的にも違いがあるように、お互い感覚的に似ている部分、歴史的に近しい部分のある鹿児島と沖縄文化のちょうど間に位置する奄美諸郡。
私たち鹿児島出身と沖縄出身の夫婦にとっての真ん中に位置する奄美諸郡は、歴史的にどのような影響を受け、現地ではどのような方言を使い(イントネーションも含めて)、どのようなものを食し、どのような生活、どのような風習があるのか?知ってみたい。
そんな計画であった。
2022年末、鹿児島から船にて、
喜界島→奄美大島→徳之島→沖永良部島→沖縄 (途中の与論島は以前行ったので今回は飛ばします)各離島を下船しながら、南下するそんな計画を立ててみることにしたのである。
続く
[…] 自分のルーツを知る(船旅帰郷vol.1) […]